2024 11,24 03:32 |
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2004 05,19 11:06 |
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塗仏の宴(宴の支度)と、同(宴の始末) を読了。
なんかWebでの評判はあんまり良くないみたいですが 実家のすぐそば「雲見の浅間山」に伝わる、幼い頃から聞きなれた口伝が出て来たり、 小学校の頃から追いかけつづけ、民俗学(っポイの)に興味を持つきっかけになった「MADARA」の登場人物が多数出てきたりと、 色々と個人的にシンクロする部分も多かったりして非常に楽しめました。 “支度”や前作までに巧妙に張られた伏線が一つづつ繋がっていく快感。 “始末”の500ページあたりから怒涛の如く展開するストーリーに、 深夜2時まで仕事だったのを忘れ朝まで一気に読んでしまったわけです。 上記した口伝の他にも、実家周辺での古くからの文化・習慣は多いのだけれど、14年間住んでいた割に(神社に能を奉納したことさえあるというのに!)それぞれの習慣の期限・目的などについては全く興味を持ってなかったんだなぁと再確認。 例えば夏の祭りにて、大勢で神輿を引きながら、「キミョーチョーライ。サンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョー~」と唄いながら町内を練り歩き、最後は川に数人の大人が入って岸に居る人に水をかける(かかった人は一年間風邪をひかないのだそうだ)という風習がある。小学生だった私に祝詞の意味などわかるわけも無く、ただカタカナとして丸覚えして唄っていたものだが、今になってみると「帰命頂礼。懺悔、懺悔、六根清浄」だったんだなーと理解できる。 祝詞だけでも、ちょっとググってみるだけで「六根清浄」に続くくだりは色々とバリエーションがある。これらは山岳信仰の決まり文句だったようで、富士山があるだけに静岡県全域にも広く分布しているようだ。 実家からも富士山は見えるが、富士といがみ合う(とされる)浅間山がある以上、 きっと浅間山に対する信仰ではないだろうか。 ・・・いや、それにしては練り歩くコースは全く山を通ろうとはしないなぁ。川の水で無病息災、ということは一種の水神祭だったのだろうか。長い年月を経て、山岳信仰と水神祭が融合してしまった? こういうのって惹かれます。もっと詳しく知りたいなぁ。これで飯を食っていけたら楽しいだろうなぁ。 PR |
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